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東京高等裁判所 平成6年(ネ)862号 判決

控訴人(原告)

懸武久

被控訴人

天野勉

ほか一名

主文

本件控訴及び控訴人が当審において拡張した請求をいずれも棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人らは、控訴人に対し、各自三四六一万五四八五円及びこれに対する昭和六二年一一月五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え(請求の拡張)。

3  訴訟費用は第一・二審とも被控訴人らの負担とする。

二  被控訴人ら

主文同旨。

第二事案の概要

本件は、控訴人が、自動二輪車を運転し交差点において停止中に被控訴人天野運転の普通貨物自動車に追突されて負傷した(以下「本件事故」という。)として、被控訴人天野に対して民法七〇九条に基づき、右自動車の保有者である被控訴人誠和運輸有限会社(以下「被控訴会社」という。)に対して自動車損害賠償保障法三条に基づき、平成三年四月末日までの間に生じた損害の賠償を求め、原審が、控訴人の損害は填補ずみであるとして右請求を棄却し、これに対して、控訴人が、控訴した上、後遺症が存在すると主張して、後遺症を含めた全損害に請求拡張した事案である。

一  争いのない事実

原判決二枚目表四行目の冒頭から同裏末行の末尾までに記載のとおりであるから、これを引用する。

二  争点に関する当事者の主張

1  控訴人(損害額)

(一) 控訴人の傷害

控訴人は、本件事故により、右手・右肘、両下腿挫傷、腰椎捻挫及び頸椎捻挫の傷害を負い、平成六年六月二〇日に症状が固定し、後遺症として、肩甲背部通、頸部通、左半身痛、両前腕尺側痛、左大腿下腿外側痛等の頑固な神経症状(後遺障害等級一二級一二号)を残している。

(二) 控訴人の損害額

(1) 治療費(控訴人支払分) 二九二万九四九〇円

(2) 通院交通費 二六五万九八七〇円

(3) 入院雑費 二八万五六〇〇円

(4) 休業損害 二〇三九万五五〇六円

控訴人は、大工を職業としているところ、本件事故当時の控訴人の日当は一万四〇〇〇円であり、少なくとも年間二二〇日は稼働するので、年収は三〇八万円を下らなかつたが、本件事故当日である昭和六二年一一月五日から症状固定日である平成六年六月二日までの六年と二二七日間にわたつて稼働できなかつた。

(5) 医師への謝礼等 三万四〇〇五円

(6) 傷害慰謝料 四五〇万円

(7) 後遺症慰謝料 二四〇万円

(8) 逸失利益 三七七万二〇九二円

年収三〇四万円、労働能力喪失率一四パーセント、労働能力喪失期間一二年(五六歳から六七歳まで)、ライプニッツ係数八・八六三を用いて算定

(9) 弁護士費用 一四〇万円

(三) 損害の填補(自賠責保険) 三七六万一〇七八円(争いがない。)

2  被控訴人

(一) 控訴人の傷害

控訴人の症状は、訴えは強いけれども、理学的検査、レントゲン検査等での異常所見は軽度であり、控訴人の心因性のものであることが窺われるので、原判決の認定した本件事故から約五か月を経過した昭和六三年三月末日より後の治療は本件事故と相当因果関係にあるものとはいえないというべきである。

(二) 過失相殺

本件事故の発生した道路は、片側二車線であるから、控訴人は、歩道寄りの車線を通行すべきであるのに、両通行帯を区分する線上を走行してきて停止したため加害車両と接触したものであるから、控訴人にも過失があるので過失相殺をすべきである。

第三争点に対する判断

一  本件事故の態様及び過失相殺について

1  引用の原判決の「事実及び理由」第二の二1及び2の事実並びに証拠(甲三、四、七、九、乙五、原審における控訴人・被控訴人天野各本人)及び弁論の前趣旨によれば、によれば、次の事実が認められる。

(一) 本件事故のあつた交差点付近の道路(以下「本件道路」という。)は片側二車線で、右交差点には信号機が設置されていたところ、控訴人は、自動二輪車を運転し、信号に従つて歩道寄りの車線と中央寄りの車線とを区分する線上に被害車両を停止させた。

(二) 被控訴人天野は、普通貨物自動車を運転し、時速約七〇キロメートルで本件道路の中央寄り車線を控訴人と同方向に進行中、道路標識に気を奪われたため、前記交差点の手前になつて初めて対面信号が赤を表示していること及び約二〇メートル先に被害車両が停止していることに気付き、急ブレーキをかけたが間に合わず、被害車両の右マフラーから右ハンドルにかけて追突ないし接触し、このため控訴人は路上に転倒した。加害車両の左側に引つ掻ききずができたが、被控訴会社では、修理をしないでそのまま使用している。

なお、控訴人本人は、原審において、加害車両に追突されて九メートル位はね飛ばされた旨供述しているが、右の本件事故の態様、後記二1(一)に認定した本件事故直後の金子病院における治療内容及び控訴人の本件事故直後の行動並びに原審における被控訴人天野本人尋問の結果に照らしてたやすく措信することができず、これによつては、控訴人が九メートルはもとより数メートルはね飛ばされたものと認定することもできず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

2  右の事実によれば、本件事故は、被控訴人天野の過失によつて生じたものというべきであり、本件事故の態様に照らせば、被控訴人が歩道寄りの車線とセンターライン寄りの車線とを区分する線上に被害車両を停止させていたことは過失相殺の対象にすべき程の過失に当たるということはできないというべきである。

二  控訴人の傷害及び後遺症について

1  証拠(甲一の1ないし41、二の1ないし9、一二、乙一ないし四、原審における控訴人本人、当審鑑定)によれば、次の事実が認められる。

(一) 控訴人は、昭和一三年五月四日生の男性で大工をしている者であるところ、本件事故後、救急車で金子病院に運ばれたが、同病院では応急治療として右肘部・右手関節部(乙一に「左肘部・左手関節」とあるのは、誤記であると認める。)・両下腿部に湿布の処置を受けた後、痛みもさほどではなかつたので、約一〇分程度歩行して本件事故現場に戻り、自ら被害車両を運転して付近の交番に預けてから、板橋警察署で事情聴取を受けた。

(二) 控訴人は、右事情聴取の後電車で帰宅する途中、痛みがひどくなつたので、横浜南共済病院に赴き、右手・右肘・両下腿挫傷、頸椎捻挫、腰椎捻挫の傷病名で診療を受けた。その際のレントゲン検査によれば、控訴人には、腰椎に経年性の変形性脊椎症性変化(下位腰椎椎体縁の骨棘形成、第四・第五腰椎椎間板狭小)が見られたが、頸椎には年齢相当の変化のほかには特に異常な点は見られなかった。

(三) 控訴人は、同年一一月六日、全身疼痛特に両肩痛があつたため同病院に通院し、同月八日、前日からの血便に加え下腹部痛の症状も出たため、同病院に通院し、同病院には空きがなかつたため、精密検査のため衣笠病院に入院したが、異常がなかつたので、同月一一日に退院した。

(四) 控訴人は、翌一二日、頸部、肩部及び腰部の痛みを訴え、以前から持病で通つていた汐田総合病院において、頸椎捻挫、腰椎捻挫の傷病名で診察を受けた。同日同病院で行つたレントゲン検査の結果は、前記(二)に述べたところと同様であつた。

(五) その後、控訴人は、同月二一日以降、再び横浜南共済病院で通院治療を受けたが、頸部・肩部・腰部の痛みが持続し、他覚的にも傍脊柱筋に緊張があるなどの所見が見られ、同年一二月二日には、下血は止まつたが、項部痛が出現した。

(六) 控訴人は、昭和六三年一月一二日、自宅でキャッチボールをしていたところ、腰部痛、両下肢痛が強くなり、同月一四日、腰痛が強く仕事はもとより歩行もできない状態であると訴えた。

(七) 控訴人は、同年二月二日、同病院に検査のため入院した。その際、控訴人は、頸部痛、腰部痛、左肩痛、左手第三・四指の知覚鈍麻(しびれ感)及び左下肢の知覚鈍麻(びりびり感)を訴えていた。

(1) 頸部の症状に関する検査結果は、次のとおりであつた。

上肢の反射は正常で、頸部の動きは痛みのためやや制限があつた。頸椎神経根の圧迫・伸展の誘発テスト(頸椎椎間板ヘルニア、変形性頸椎症等の場合には陽性となる。)は陰性であつた。筋力は、左右の肩関節三角筋にやや筋力低下を認めたが、可動域は正常であつた。脊髄造影検査では、頸椎に軽度の脊椎狭窄、頸椎伸展位の側面像で第三頸椎から第七頸椎にかけての椎間板部にごく軽度の脊髄の圧迫、第六・第七頸椎間の椎間板部に中等度の脊髄圧迫がそれぞれ認められた。

(2) 腰部の症状に関する検査結果は、次のとおりであつた。

下肢伸展挙上テストは両側とも六〇度で陽性、ブラガードテストは左側が陽性(いずれも腰部椎間板ヘルニア等で特徴的に認められる。)であり、下肢の反射は正常で、下肢の筋力低下は認められなかつた。レントゲン検査では、腰椎の変形性脊椎症、下位腰椎の骨棘、第四・第五腰椎間の椎間板狭小化が、腰部脊椎造影検査では、腰部脊柱管狭窄、左第一仙椎神経根の軽度圧迫がそれぞれ認められた。

(八) 同病院では、右の検査結果に基づき、星状神経節(頸胸神経節)ブロック及び仙骨ブロックのための注射をして症状の軽減を図り、控訴人は、同月二〇日退院したが、星状神経節ブロック注射は退院後も続けられた。

(九) 控訴人は、同年三月二八日、幼稚園の改造工事をしたところ、両臀部及び両下肢外側に痛みが出現し、翌二九日からその診療も受けた。更に、同年四月六日からは、脳梗塞、不眠症の傷病名も加わつた。

(一〇) 控訴人は、同年六月までは前記ブロック注射を受け、同年七月から連日のように介達牽引のリハビリテーションを行い、同年九月ころには大工仕事をするようになつた。しかし、仕事をすると、夜に頸部や腰部の痛みが出るのでこれを中断して、リハビリテーションや痛み止めの薬剤の投与を継続して受けるようになつた。同年暮れころからは症状に波ができ、平成元年三月には安静にしていると楽であるが、少し仕事をすると頸部痛、腰部痛がする状態になつた。同年八月二六日には、抑うつ状態、便秘症の傷病名で同病院の神経科でカウンセリングを受けたが、一進一退の経過であり、平成三年四月末日にも症状は変わらなかつた。

(一一) 控訴人は、同年一〇月四日に検査のため入院したが、その結果、第五及び第六頸椎に軽度圧迫及び軽度のヘルニアが見られ、平成二年五月の診断でも第五頸椎が第六頸椎に対しやや前方に偏位し、正常な脊柱の湾曲が損なわれていて、その間の脊椎管が狭窄し、更に同部位に靱帯の肥厚(あるいは骨棘の形成)が見られると診断された。同病院の担当医藤井英世(以下「藤井医師」という。)は、同月九日、今後三か月で症状が固定するものと思われる旨の診断をした。

(一二) 控訴人は、横浜南共済病院の整形外科に昭和六二年一一月五日から平成六年六月二〇日までの間に八七四日通院し、その間、昭和六三年二月二日から同月二〇日まで、平成元年一〇月四日から平成二年二月二五日まで、同年八月二九日から同年九月一三日まで、同年一〇月一七日から同月三〇日まで、平成三年一月八日から同年二月一二日までの合計二三〇日間入院して治療をうけ、平成六年六月二〇日をもつて、症状が固定したものと診断された。その際、自覚症状としては、肩甲背部痛、頸部痛、左半身痛、両前腕尺側痛。左大腿下腿外側痛、両下肢脱力、全身の筋けいれん、両肩運動時れき音、頻尿があり、他覚症状としては、頸椎伸展制限(前屈六〇度、後屈一五度、右屈四五度、左屈六〇度、右回旋六〇度、左回旋七〇度)、進展時頸部痛、左半身に強い知覚鈍麻等があると診断された。

(一三) 平成七年一一月七日の診察時において、控訴人には、自覚症状として、頸部・背部・腰部痛、両側の上腕後面・前腕尺側・第四・五指痛、両側座骨神経痛、時々両上肢にけいれん等があり、頸部両側僧帽筋・腰部両側傍脊柱筋・臀部両側上臀神経・梨状筋部圧痛が認められ、レントゲン検査では、頸椎に不安定性はなく、第五頸椎に軽度の骨棘、第四・第五腰椎間に椎間板狭小化・変形性脊椎症の所見が認められた。

(一四) 控訴人には、二三歳ころからヘルニアによる腰痛があり、五年に一度ずつ位の割合で通院治療を受けており、また、本件事故前から加齢による変形性脊椎症及び喘息があり、胆石や虫垂炎の手術を受けたことがある。

2  右の事実並びに甲第一一号証の一ないし三、原審調査嘱託の結果、乙第四号証及び当審鑑定の結果に基づいて、控訴人の傷害及び後遺症の有無及び本件事故との相当因果関係の有無について検討する。

(一) 本件事故により、控訴人が左手・右肘・両下腿挫傷の傷害を負つたことは明らかである。

(二) 本件事故後、〈1〉 本件事故当日の昭和六二年一一月五日の横浜南共済病院におけるレントゲン検査及び同月一二日の汐田総合病院におけるレントゲン検査の結果、控訴人の頸椎には年齢相当の変化以外に特別の異常はなく、また、腰椎には変形性腰椎症及び腰部椎間板症の所見が見られ、〈2〉 本件事故後約三か月経過した昭和六三年二月二日に横浜南共済病院で行われた脊髄造影検査の結果、控訴人の頸椎に軽度の脊柱管狭窄、頸椎伸展位での側面像に第三頸椎から第七頸椎にかけての椎間板部にごく軽度の脊髄の圧迫、第六・第七頸椎間の椎間板部に中等度の脊髄圧迫及び腰部脊柱管狭窄、左第一仙椎神経根の軽度圧迫が見られた。しかし、右の検査所見は、いずれも加齢等を原因として起こつたものであり、本件事故によつて生じたものとはいえない。また、右の腰部所見は、本件事故以前から控訴人に発症していた腰痛の原因をなすものであつたということができる。

(三) 控訴人には右(二)のとおりの既往症があつたことから、本件事故後に診断された頸椎捻挫及び腰椎捻挫等と本件事故との相当因果関係並びに治療期間及び後遺症の有無が問題となる。

(1) 控訴人の頸椎及び腰椎の脊柱管狭窄等と本件事故との間に相当因果関係を認めることができないことは、前記(二)に判示したとおである。

(2) 横浜南共済病院の藤井医師は、右の相当因果関係をいずれも認め、控訴人には頸部・背部・腰部痛や時には全身痛があり、増悪時には鎮痛剤が効かない場合もあることから、少なくとも平成三年四月末日までは就労が不能であつたとの見解を示している(甲一一の1ないし3、原審調査嘱託の結果)。

しかしながら、藤井医師は、控訴人の既往症については全く触れることなく右の見解を述べているのみならず、既往症については「病歴には記載がない」として(原審調査嘱託の結果)、控訴人の既往症の存在を否定しているように見受けられるのであつて、右の見解を直ちに採用することはできない。もつとも、前記の既往症があるにもかかわらず、本件全証拠によつても、控訴人には本件事故前既に本件事故後に認められた程度の痛み等の症状があつたものとは窺えないので、本件事故によつて、頸椎捻挫に伴う症状が新たに発症し、また、既往症による症状がある程度増悪したものと推認することができる(この点については、国立療養所村山病院整形外科医師大谷清(乙四。以下「大谷医師」という。)及び当審鑑定人である東海大学医学部整形外科医師山路修身も否定してはいない。)のであり、この限りにおいて本件事故との相当因果関係を認めることができる。

(3) 次に、本件事故と相当因果関係のある治療期間について検討すると、〈1〉 大谷医師は、本件事故との相当因果関係のある傷害(既往症による症状の悪化を含む。)は五週間以内の通院治療で治癒するものとし、〈2〉 藤井医師は、本件事故により控訴人の身体が約七メートル飛ばされたことを前提として、通常は六か月ないし一年の治療が必要であるとしていた(原審調査嘱託の結果)が、その後、大谷医師の見解を検討した上、三ないし五週間では足りないが、通常は三か月ないし六か月の治療で足りるとし(甲一一の1ないし3)、〈3〉 当審鑑定人は、頸椎捻挫及び腰椎捻挫(鑑定書に「腰部打撲」とあるのは誤記と認める。)による症状は、通常の場合約二か月で消失すると考えられるが、控訴人の場合には、既往症による症状の増悪に本件事故が多少なりとも関与していることを考慮しても、症状固定の時期は長くて半年とすべきであるとしている。

これらのほか、〈1〉 前記一1(二)に判示したとおり、本件事故によつて控訴人が九メートルはもとより数メートルはね飛ばされたものと認めることはできないこと、〈2〉 前記(2)に判示したように、控訴人には経年性の基礎疾患があつたこと、〈3〉 控訴人の治療が長期化した原因について、藤井医師は不明であるとしている(甲一一1ないし3、原審調査嘱託の結果)が、大谷医師は、初期治療に当たつた医師が控訴人の既往症と本件事故による傷害との関係について十分説明して納得させなかつたことが原因の一つである旨述べていること(乙四)、〈4〉 控訴人の治療過程において、医師から偽薬を用いるように支持がされたり(乙三の二三九枚目)、控訴人が本件事故についての示談交渉を相当気にしていたこと(乙三の二一一、二三二枚目)などから、心因性の痛みもあることが窺われること、〈5〉 控訴人は、昭和六三年三月二八日には、幼稚園の改造工事をすることができるまでに回復したこと、〈6〉 同年四月六日からは、傷病名に脳梗塞及び不眠症が加わつたこと、〈7〉 下血と本件事故との間に相当因果関係があると認めるに足りる証拠はないが、仮に相当因果関係があるとしても、昭和六二年一二月二日にはこれが止まつていること、以上の事情を総合すると、既往症が増悪した分に対する治療を含め、本件事故と相当因果関係のある治療期間は、昭和六三年三月末日までと認めるのが相当である。

(4) 次に、後遺症の有無について検討するに、前記二一(二)に認定したとおり、横浜南共済病院は、控訴人の症状は平成六年六月二〇日をもつて固定し、後遺症が残つた旨診断した(甲一二)が、既に判示したところ及び当審鑑定人の鑑定結果によれば、右の時点で認められた控訴人の症状のすべてが本件事故と相当因果関係のある症状であるとは認めることができないので、右の診断が本件事故と相当因果関係のある後遺症の存在を認める趣旨のものであるとすれば、右の診断を採用することはできない。そして、他に昭和六三年三月末日時点において、控訴人に本件事故と相当因果関係のある後遺症があつたものと認めるに足りる証拠はない。

三  控訴人の損害額

当裁判所も、本件事故に基づく控訴人の損害は、三一三万四二八三円であると判断する。その理由は、原判決一〇枚目表一行目の冒頭から同一二枚目表一行目の末尾までに記載のとおりであるから、これを引用する。

四  損害の填補

被控訴人ら及び保険会社が病院に直接支払つた分を除き、控訴人が自賠責保険から三七六万一〇七八円の支払を受けたことは当事者間に争いがないので、控訴人の損害は、すべて填補されたことになる。

五  結論

以上のとおり、控訴人の本訴請求は、当審において拡張した分を含めてすべて理由がないので棄却すべきである。

よつて、原判決は相当であり、本件控訴及び控訴人が当審において拡張した請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、控訴費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 塩崎勤 瀬戸正義 西口元)

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